英語の和訳にも潜む根源的な文明の衝突
言葉は、存在の影であるといわれますが、それは、存在は言葉に先立って既に有り、言葉はその存在を指示する記号に過ぎないという意味です。
従って、一次的な存在に対し、言葉はあくまで二次的なもの、従属的なものと捉えるのが我々の常識であり、感覚的にも自明のことのように思われます。
ところが、最近の言語学の先端では、この存在と言葉の自明の主従関係に対し、言葉が存在に先行するもので、言葉が存在をつくり、存在を規定するものだという議論がなされています。
存在から言葉への一方通行の関係であったものが、存在と言葉には実際には相互作用と相互浸透の関係があり、更には、言葉は存在であると主張する世界的言語学者も出て来ています。
言葉は単なる二次的な記号という位置から、存在に能動的に働きかけ、存在を創造する機能に注目が集まってきています。
そしてこの存在と言葉との根源的相互作用から、言葉による世界解釈、世界の見方にも言葉が深く関与しているという主張も広がりつつあります。
つまり、言葉によって世界を見るということは、各国のあるいは各民族は、その所属する固有の言葉を通して世界を見ている、言葉の枠組みで世界の枠組みを解釈しているという指摘がされ始めています。
その意味で、ある言語の他言語への翻訳という作業には、単なる指示表象記号の置き換えという機械的で表層的な面のほかに、根源的な深層では、各言語の持つ世界解釈の衝突、さらに言えば、各言語が背負っている文明の衝突という面が指摘されています。
その意味で、単なる英語の和訳という日常茶飯の作業の根源にも、このような文明の相剋という側面が潜んでいるということは、まだ広く認識されていないようです。
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